新たなる時の出逢い

一般対象役柄

一般対象役柄お申し込みについて

時代行列一般対象役柄募集に多数のご応募いただき、誠にありがとうございました。
3月9日17時をもって応募申し込みを終了させていただきました。
当日までの流れ下記をご参考ください。
応募
~3月9日(金)
配役決定・説明会開催通知送付
3月中旬から下旬
説明会(かつら合わせ)(会場:草津市役所)
4月8日(日)
草津宿場まつり当日
4月29日(日)

一般対象役柄には選考会はございません。出演を希望する役柄を選んでいただけます。
希望する役柄は各グループ(A・Bそれぞれ)から1役ずつ選んで下さい。
各グループから希望役柄を選択後、第一希望とする役柄が含まれているグループを選択してください。

※同一グループ内から2つ以上の役柄を選ぶことは出来ません。各グループから1役ずつ選択してください。
※説明会時の抽選は実施いたしません。応募多数の場合は実行委員会にて厳正な抽選を行います。
※50代以上推奨役柄(幾島・瀧山・勧行院・庭田嗣子)を希望される場合は、応募動機および写真の添付が必要となります。

一般対象役柄ご紹介

10代女性役柄 7名

Aグループ
(1)小姓(男性役)2名 (2)御小姓 2名
1小姓 2御小姓

【小姓】
小姓は、主君の身の回りの雑用を務めた役職です。主君のそば近くに仕え、雑務や日常生活に必要な取り次ぎをするのが主な仕事でした。
中には、元服したての若い藩士を小姓に任じて、将来的に自分の手足として働けるように育成するよう心がける藩主もいたようです。
【御小姓】
御小姓とは、大奥の女中の役職の一つで、御台所の小間使いとして働きました。7歳~16歳の少女が御小姓を務める場合が多かったといわれています。
Bグループ
(3)女嬬旗持 3名
3女嬬旗持
【女嬬(にょじゅ)旗持】
女嬬とは宮中で雑務を担当した下級の女官のことです。手に持っている旗には、行列名や京の都から江戸へ御輿入れした姫君たちの名前が記されており、旗持ちはどの姫君がどんな名前なのかを示す重要な役目を持っています。女嬬旗持ちの衣裳は、白衣と緋袴の上に千早と呼ばれる衣を着たものです。

20代・30代女性役柄 40名

Aグループ
(4)女官 10名(5)命婦 10名(6)御中臈 10名
女官 命婦 御中臈

【女官】
女官は、和宮の御降嫁に付き従う女性たちです。女官の衣裳は、袿姿という公家の女性が日常に着用していたものです。さらに掛守という御守を首にかけ、市女笠を持つことで、旅の装束となります。平安時代の昔より、貴族の女性たちはこのような衣裳を着て寺社に詣でました。
【命婦(みょうぶ)】
命婦とは、京の都から姫君の御輿入れに付き従う女房や女官です。四位や五位の中級クラスの女官や女房を総称して命婦と呼びました。命婦の衣裳は、貴族の女性が日常着として着用していた袿姿です。
【御中臈】
御中臈は大奥の女中の位の一つで、御上臈より一段低い身分でした。将軍や御台所の身の回りの世話をする役職で、大奥の女中の中でも家格や容姿の優れた者が御上臈の推挙によって選ばれました。御上臈と違い、御中臈は将軍の目に止まり寵愛を受けることもありました。御中臈の衣裳は打掛姿です。美しい御中臈役にふさわしい華やかな衣裳です。
Bグループ
(7)御供女中 10名
7御供女中

【御供女中】
御供女中は、主人の身の回りの世話をしていた女性たちです。主人が外出する時は、その御供をしたことから、御供女中といいます。御供女中の衣裳はいわゆる腰元姿です。矢絣の小袖が特徴です。

40代女性役柄 19名

Aグループ
(8)上臈女官 8名(9)御上臈 8名
上臈女官 御上臈

【上臈女官】
上臈女官は、和宮の御降嫁に従う女官の中でも高い位の女官のことです。和宮の御降嫁には、和宮の乳母や命婦など、宮中で和宮に仕えていた女性たちが共に大奥へ赴きました。和宮にとって心を許すことのできる彼女たちは、大奥に入ってからも和宮の上臈女官として、和宮に尽くしました。
【御上臈】
御上臈は大奥の女中の役職です。大奥における最高の位の女性で、将軍や御台所に謁見が許される立場でした。御上臈は大奥の儀礼や年中行事をつかさどる役職で、現在に名前の残る有名な大奥の女性のほとんどは、この御上臈にあたります。御上臈となる女性のほとんどは御台所の輿入れに伴って共に大奥入りしたといわれています。御上臈の衣裳は、大奥の最高位の女性ということで、美しい打掛姿で、知的で落ち着いた雰囲気の女性として演出します。

Bグループ
(10)殿上人 2名(11)公卿 1名
殿上人 公卿

【殿上人(てんじょうびと)】
殿上人は、京の都から姫君の御輿入れに付き従う公家たちです。御所の殿上にのぼることを許された身分であることから、「殿上人」と呼ばれました。殿上人の衣裳は、貴族が日常着として着用していた狩衣姿で、この衣裳は平安時代から変わらない伝統的な装束です。
【公卿】
公卿は、姫君の御降嫁に付き従う公家たちです。公家の中でも公卿は特に位の高い人々のことを指します。公卿の衣裳は、貴族が日常着として着用していた狩衣姿で、この衣裳は平安時代から変わらない伝統的な装束です。武家の衣裳とは全く違った、雅な雰囲気の衣裳です。

50代女性役柄 4名

Aグループ
(12)幾島 1名(13)瀧山 1名(14)観行院 1名(15)庭田嗣子 1名
12幾島2 13滝山2

14観行院2 15庭田嗣子2
Bグループ
※Bグループはありません
(Aグループ役柄解説)
【幾島】
幾島は、篤姫付きの御年寄です。幾島はもともと島津家の郁姫が近衛家の忠煕(ただひろ)に嫁ぐ際に、郁姫付きの御上臈となり、共に京都の近衛邸で暮らしていました。郁姫が亡くなった後は出家し、そのまま近衛家に仕えていました。その後、島津斉彬の養女である篤姫が近衛忠煕(このえ ただひろ)の養女として将軍家に嫁ぐことが決定すると、幾島と改名して篤姫付きとなり、篤姫の教育係となりました。そして篤姫と共に、自分も公家の養女として大奥に入りました。大奥に入ると、幾島は江戸城と薩摩藩との連絡役として活躍しました。特に将軍の跡継ぎ問題や、薩摩藩との連携において重要な役割を果たしました。さらに戊辰戦争の際には、篤姫の使者として討幕派である薩摩藩へ交渉に出向き、江戸城の無血開城に尽力しました
【瀧山】
瀧山は、篤姫が大奥入りした時代の大奥御年寄です。第13代将軍家定、第14代将軍家茂、第15代将軍慶喜の3代にわたって仕えました。14歳で大奥に入った瀧山は、その才覚が認められて将軍付きの御年寄となりました。NHK大河ドラマ『篤姫』では、大奥を取り仕切る総取締役を務める筆頭御年寄として登場し、優れた才女としての印象が強い女性で、大奥を語る上では欠かせない女性の一人です。
【観行院】
観行院は、和宮の生母です。元々は橋本経子(つねこ)という名前で、仁孝天皇に仕えた典侍(ないしのすけ)という女官でした。観行院は仁孝天皇からの寵愛を受けて妃の一人となり、天皇との間に和宮が生まれました。「観行院」という名前は、仁孝天皇が亡くなり出家した時の名前です。和宮の将軍家への御降嫁が決まり、母親である観行院も共に大奥へ入りました。これは和宮の兄である孝明天皇が、遠い江戸の地へ輿入れする和宮の精神的不安を軽減させようとした処置でした。和宮と共に大奥入りした観行院は、大奥の生活の中で、御所風を守り和宮を支えようとしました。
【庭田嗣子】
庭田嗣子は、和宮と共に大奥入りした和宮の側近であった女性です。元々は仁孝(にんこう)天皇に仕えた典侍(ないしのすけ)という高級女官で、主君である仁孝天皇が亡くなった後も宮中に留まり、後宮の指導にあたっていました。嗣子は、仁孝天皇の次に天皇として即位した孝明天皇の妹、和宮の江戸降嫁が決まると、和宮付きに任じられ、和宮と共に江戸へ下りました。大奥に入ってからは和宮の側近として、終生和宮に尽くしました。

男性役柄 18名

Aグループ
(16)家老 2名 (17)奉行 2名
16_17家老・奉行2

【家老】
家老は、大名の重臣で、家中の武士を統率し、執事として家政を総括する役職です。江戸幕府では「老中」と呼ばれる役職がこれにあたり、藩主や将軍の次に権限を持っていました。
【奉行】
奉行は、武家の役職の一つです。政務を分けて担当し、それぞれの部局を担当する者を奉行といいました。江戸幕府では、寺社奉行・勘定奉行・町奉行の三奉行が置かれました。奉行は家老や老中を補佐する役職であり、幕末の陸軍奉行や海軍奉行など、時代の情勢の推移によって様々な新たな奉行が置かれました。
Bグループ
(18)殿上人 2名 (19)公卿 1名
(20)旗持ち 3名 (21)山車引き 8名
18殿上人2 19公卿2

20旗持ち2 21山車引き2

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時代行列一般対象役柄募集に多数のご応募いただき、誠にありがとうございました。
3月9日17時をもって応募申し込みを終了させていただきました。
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